カナダ Mt.ローガン南東壁(5959m) *2010年9月号の『岳人』に掲載されたものです。


 大きな山を登る前、プレッシャーを受け不安を抱くのはよくあることだ。今まで何度も味わってきた。何も特別な事ではない。しかし、今回のそれは、今までとは全く異質なものだった。心の底から怯え、もうやめよう、帰りたいと思ったのは今回が初めてである。山を前にして、こんなにも長い時間、恐怖と対峙したことは今まで記憶にない。

BCに入ってからローガンの空はいつも淀んでいた。三日のうち二日は悪天、この環境で、一体どうやってあの2500mもある壁を登りきる事ができると言うのだろうか。登る糸口を見つけようとしても一向に見つからない。昼間、仲間といる時は、半ば無理矢理モチベーションを揚げて「登れるよ」なんて強がりを言ってみても、夜になると、きまって登る事は困難で、出発する事自体、無謀な事に思えてくる。

登ろうと言う意思を遮るかのように、毎日、山にはガスがかかり雪も降る。壁の全容を見ようと思えば、三日に一度やってくる晴天を待つしかなかった。そして、時折顔を覗かせる南壁は、私たちの想像通り威容に大きなものだった。

 小さな町のモーテルで3日間の天候待ちの後、私たちはようやくローガン南東壁のベースにセスナで降り立った。正面に見える南東壁は写真の壁とはかなり様子が違う。本当にここでよかったのか?これが写真でみたあの壁なのか?セスナから降り立った後、何度も地図で照らし合わせてみるが分からない。正面に見える壁はとてつもなく大きい。どうやら写真よりもセラックはかなり後退している。壁中至る所に張り付いたセラックはどれも今にも落ちてきそうだ。

翌日、高度順応の下見に出かける。地図で決めていたルートはどうやら何とか行けそうだ。
 三日目、順応の為にテントを出発する。小高い丘からはるか向こうの雪原に設けたBCを振り返る。その時ふと、雪が降った時の事が頭によぎる。ここでは一晩で1mもの雪が降る事もあるらしい。広大な雪原の中に僅か5m四方に張られたテント場に、もし大雪が降ったらどうなるか。きっとテントは雪の下だろう。GPSもなく、テントキーパーもいない、この状況では私たちはテントを見つけることができないだろう。BCにある衛星電話を失い、食料、燃料も失えばもはや生きる術のほぼすべてを失う事になる。ここは一番近くの道路まで直線で150kmも離れた場所である。そう思ったとき、背筋が凍り付いた。なんと言うところへ来てしまったのだろうか。ここは今までの遠征とは違う。まず私たちは自分たちの居場所から確保しなければならない。登山やクライミングはその次である。

 それからローガンの天気は崩れた。衛星電話の高い通話料を払って、ナショナルパークに天気予報を確認するため電話をかける。このあたりでは、これから数日間は晴れが続くと言うが、ローガンでは毎日のように雪が降った。

この数日間の停滞で分かった事と言えば、ここの天気予報はまるで当てにならないという事と晴天を待っていては、いつまで経っても壁はおろか順応さえ出来ないまま遠征が終わってしまうと言う事ぐらいのものだった。

 BCで冴えない天気をやり過ごし、ほんの少し垣間見える青空にこれからの晴天を期待して、ようやく高度順応登山へ出発する。当初予定していたルートは数日間の雪で雪崩の恐れがあるので、はるか25km先のイーストリッジで順応する事にした。この悪天を考慮して持って行った食料は約2週間分。2週間も順応に使ってしまうと、当然アタックなんてできっこないのだけれど、これはあくまでもテントが埋まり、すべて失ったときの為の生き残るための装備である。

 25kmのアプローチを二日でこなし、イーストリッジに取り付く。順応の為に高度に合わせてテントを張るが、いつも悪天と夜の寒気に備えて、テントはシュルンドや雪洞を掘ってその中にテントを張らなければならなかった。身体を高度に慣らしにやってきたのに、雪洞を掘るのに2時間近くを使い、体力を消耗する。夜はシュラフに包まりテントの中で体を寄せ合い眠っても寒気に震えた。もはや順応とは点前で、ひとつの本気登山以外の何ものでもなかった。

 4泊の雪洞テントを尾根上で過ごしたが、途中で高度順応は切り上げる。これ以上順応で日数と体力、そして何より気力を使い果たしては、アタックもままならなくなってしまう。まだ私たちは25km向こうのBCまで帰らなければならないのである。

下り際、横山と話す。「イーストリッジを下降路に使うことは、有り得ないね。これじゃ時間がいくらあっても足りないね。」

 BCを出発して8日目、ようやくBCに帰り着く。しかし、キッチンテントの前で、みな呆然としている。初めから日数はかかるとは思っていたが、予想以上に疲れている。ゆっくり身体を高所に慣らすはずの順応に八日も使ってしまった。疲労感と充実感が私たちを支配する。何か大きな山をひとつ登ってきたようなやり遂げた充実感。これだけでも正直十分満足してしまう。テントの前でまずワインで乾杯しながら横山がぽつりと言った。「これからの2日間、山の話は一切しないでおこう」と。

 

 アタックに備えて鋭気を養うが、ローガンの天候はいっこうによくならない。やはり晴れるのは三日に一回。普段なら技術的なクライミングの部分に重点を置いて考える。しかし、この悪天と寒さに比べれば、核心部となるはずの急峻なガリーでのミックスクライミングは、もはや大した問題ではなった。技術的な困難は、今まで日本でやってきたクライミングで十分対応できるはずだ。例え大きくても登りきれる。しかし、そこに天候、寒さ、荷物の重さ、眠る場所、下降路など不確定な要素が加わることで、アルパインクライミングは複雑になり、困難なものになる。雪が降り続き、晴れ間のやってこない状況、高度順応の時でさえ、寒気と悪天を凌ぐために雪洞を掘ったのだ。壁の中はそれよりも過酷な状況であることは容易に想像がつく。この天候の周期で出かけるのは、登りに行くというより、地獄に足を踏み入れていくような、そんなイメージでしかなかった。

しかし、それでもつかの間の晴天がやって来れば、不安や怯えはひとまず心の片隅に押し込まれ、きっと私たちはアタックに出て行くだろう。来るべきに日に備えて、どうすれば悪天を凌いで登りきれるのか?その事だけを必死に毎晩考え続けた。

 四日間休んだ後、当初予定していたアタック日はローガンらしい24時間の降雪となった。翌日、空は昨日のことを忘れるかのように美しく晴れ渡っている。久しぶりに見る気持ちの良い青空。出発の準備を整えて、出発日を相談する。24時間降り続いたことで、2日間晴天を待って出かけたいところだが、横山は今晩の出発を主張する。2日間待つとまた次の悪天に捕まってしまうと言う事と、もう山の雪は落ち着いていると言うのだが、どうも私には出かけていく気になれない。あの大きな山の雪は本当にこの一日で落ち着いたのだろうか?雪崩は大丈夫か?考えをめぐらせても答えはわからない。ただ、北極圏のこのあたりは日照時間が長い事で、他のエリアの1.5日分の晴天と言えなくもない。加えて横山はアラスカに精通していて、このあたりの状況判断は非常に長けている。

彼の熱い思いに促され今晩の出発を決める。どうやって登るかプランを話し合う。ここは今までの場所とは違う。荷物を軽量化して速攻で登るなんてスマートなクライミングはできっこない。必ずやって来る悪天をじっと我慢して耐え忍びながら、じりじりと少しずつ駒を進めていく、そんなイメージしか湧いてこない。きっとこれは、長い旅になるだろう、そう強く思った。

 荷物の軽量化は横に置いておいて、寒気と悪天に備えて生き残るために必要な装備を慎重に選んだ。食料は普通に食べて7日分、ガスは4缶持った。これなら2週間は食い延ばせる。降雪や停滞を考えてスコップも装備に入れる。加えてここの寒さを考慮に入れると象足も持って行きたいくらいだ。しかし、すでに荷物はリード用とフォロー用、ふたつに分けてもフォローだけの荷物で、ゆうに20キロを越えてしまった。 

 不思議なもので、出発が決まると気持ちが落ち着いてきた。もう後戻りはしない。心の中の恐怖を解き放つには全力を注いで登りきる、それだけだ。

 横山は初日、オールフォローで登ると言う。20キロを越える荷物を担いでフォローとユマール。どちらもリードより遥かに骨の折れる作業だ。出発する前に彼は言った「これを登るには自己犠牲の精神が必要だ」と。真に強い男は割の合わない重労働も率先してこなす。

 出発の朝、今日も昨日同様素晴らしい青空が広がっている。貴重な晴天を使ってできるだけ高度を稼がなければならない。太陽にせかされるように易しい雪面はコンテで登る。ひたすら高度を稼ごうと頑張るが、次第にスピードは落ちてくる。大きな岩壁を巻くようにしてトラバースをする。ルートは意外と複雑だ。

いつものローガンらしく雪がちらつき始めた。薄いガスの向こうには太陽の光も見える。決して悪い天候ではない。むしろこれなら良いほうだろう。複雑なトラバースをこなして、横山がリードで前に出る。狭いガリーをコンテで快適に登っているそのとき、上から雪崩が落ちてくるのが見えた。ちり雪崩だった。避けるように岩陰に身を潜める。雪はほんの少しちらついているに過ぎない。この雪崩はこの降雪によるものだろうか。それとも一昨日までの雪が落ちてきたのだろうか。考えをめぐらしても分からない。ただ、分かっている事と言えば、この山はやはり想像以上に大きく、一枚の大きな壁に見える南東壁は、小さな尾根や壁で構成されており、とても複雑だという事。

 夜、雪崩を避ける場所にテントを張り、今日の1日の疲れを癒す。ここでは23時まで明るいので、オーバーワークは禁物だが、天気のことを考えるとそうも言っていられない。日付が変る頃、ようやく食事を済ませ眠りに着く。明日も天気はもってくれるだろうか。祈るような気持ちで眠りに就いた。

翌朝、テントのジッパーを開けると、信じられないことに今日も晴れている。ここでの3日続けての晴天はこれが始めてである。なんと幸運な事だろう。同ルート下降を考えて、リード用ザックをここにデポして出発する。

今日は核心部となる長く急峻なガリーに入る。しかし、出来ることなら時間をかけたくない。ガリーを避けるように右往左往するが、ガリーに引き戻される。どうやらガリーは避けて通れないようだ。

ガリーへ向けてトラバースすると、悪いミックス壁がガリーへ続いているのが見えた。プロテクションは小まめにセットできそうもない。荷物を背負った状態でのユマール、フォロー、どちらも厳しいだろう。これはトラバースではなく、時間がかかっても、懸垂下降でガリーへ降り立ったほうがいいなと判断する。しかし、横山はフォローすると言う。一瞬迷うが、すぐさまトラバースに移った。横山が来ると言うのなら何が何でもやって来るだろう。アルパインクライミングでは仲間との信頼関係は不可欠である。横山は悪いトラバースを20キロを越える荷物を背負ってフォローして来た。有言実行、やはり頼りになる男である。

お昼過ぎ、この壁の核心部となるガリーに突入する。私が途中、30mばかり落ちてしまったが、日が陰る頃には、抜けることができた。時間はかかってしまったが、お互いクライミングを楽しんだ。

陽がどっぷりと沈んだ頃、テントを張った。雪面から空中にはみ出したテントの下にロープハンモックを作り、テントがずり落ちないようにする。この日、シュラフに包まったのは午前2時。

眠る前に横山と下降について話し合う。登った後、この壁を懸垂で下りる予定であったが、ここまで来るとそれはもはや自殺行為に思えた。壁の大きさと岩のルーズさ、そしてここまで何度もトラバースしてきた事を考えると、懸垂下降で下りるには時間がかかり過ぎる。真っ直ぐ下りてもよいが、登ってきたコースを外れるとセラック崩壊の恐怖が常に付き纏う。そしてそれ以上にこの好天が続くとは考えられない。もし下降中に悪天につかまったら・・・。考えただけでも恐ろしい。二人で話し合い、下した結論は順応で使ったイーストリッジを下りるというものだった。イーストリッジを下降路に使うことはないと言う話はどこかへ行ってしまったようだった。
 三日目、
23時に壁を抜け、ようやく稜線へ出た。ついに壁を登りきったのだ。信じられないことに3日間天気はもった。「奇跡だね。」二人で喜びをかみ締めると共に安堵する。もうこれで死ぬ事はないだろう。明日、頂上を踏んで30キロ先のテント場へ帰ればよいだけである。そう思えばいく分楽になった。その日の夜、格好のテント場をシュルントに見つけ、テントを張る。

ようやく足を伸ばしてゆっくり眠ることができる。そう思ってテントに入って、靴を脱ぐ時、インナーからなぜか足が抜けない。思い切り足を引っこ抜くと両足とも靴下の先が凍りついている。脱げなかったのはインナーと靴下が凍って接着されていたからだった。二重靴にオーバーシューズを着けていても凍りつくのか・・・。

この日の夜はとてつもなく寒かった。全ての衣類を着込んでシュラフに包まるが、それでも恐ろしく寒い。ヒマラヤで着の身着のまま眠った時の方が暖かく感じる。シュラフに包まりながら眠る横山が隣でがくがく震えているのが伝わってくる。今日はゆっくり足を伸ばして眠れるはずが、この日もあまりの寒さにほとんど眠ることができなかった。これで三日間の合計睡眠時間は10時間程度となってしまった。

四日目、再び奇跡的に晴れた空の下、山頂を目指す。しかし、なんともこの道のりが遠い。荷物を軽くして歩いても一向に着かない。3日間のクライミングで身体に疲労も溜まっている。緩やかな雪原はどこまでも続き、ようやく600m上に山頂が見える。しかし、時間が押している。ここからさらに時間をかける余裕があるだろうか。BCまでの道のりを30kmも残している。イーストリッジや広い雪原で悪天につかまるとまた停滞を余儀なくされる。昨日、私が愚かにもシュルントに新品のガス缶を落としてしまったので、残りの燃料もあと僅か。悪天につかまると、燃料は限界だ。この寒気を絶え凌ぐ事はできるだろうか。横山にもう下りたほうがよいではないかと提案する。二人で30分は話し合っただろうか。横山も私の提案を受け入れ下りる決断をする。そして今まさに下りようとしたその時、横山が無意識のうちにひとつため息をついた。その瞬間、はっと我に返る。諦めちゃ駄目だ。ここでのクライミングはもうこれが最後である。山頂を登らなければ、きっと一生後悔するに違いない。登らずに後悔するより、登ってから後悔しよう。横山にやっぱり行こうと告げると、横山はなんとも嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。「こうなればとことんハマろうじゃありませんか!」常に危機的な状況と隣り合わせにいながらでも、横山はいつも前向きで明るい。きっと山登りとクライミングという行為をこよなく愛しているからだろう。

山頂までの長い道のりを一歩一歩、歩きながらようやく山頂に立ったとき、今まで味わった事のない感情が心の底から湧き上がって来た。

 今回の成功は天気に恵まれた部分が大きい。壁や稜線で悪天につかまれば、大変な苦労を強いられた事は想像に難くない。しかし、天気が良かったから登れたなんて簡単には言いたくない。怖くて、もう行きたくないと何度思ったことだろうか。命がけのクライミングなんてしたくないけれど、山では危険をすべて排除することはできない。ひとつ間違えれば死がすぐそこにあるのは厳然たる事実。それが山の壁であり、アルパインクライミングのリスクだ。それでも心の中に、どこかで登りたいと言う気持ちがあって、絶望的な状況の中でも横山となら、きっと登れると思った。

遠征なんて華やかな響きの裏には、恐怖、空腹、寒さなどネガティブな要素がいくつでも存在する。しかし、それでも山を登るのはそこでしか味わう事のできない特別な感覚があるからだ。これは私にとって趣味でもなければ、遊びでもない。うまく言えないけれど、水のない世界で魚が生きてはいけないように、私も登山やクライミングのない世界では生きていけない。登山やクライミングは私にとってかけがえのないもののひとつである。